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包丁 火造り鍛造、夫婦で継ぐ

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包丁 火造り鍛造、夫婦で継ぐ 
モノごころ ヒト語り
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40223000Z10C19A1CR0000/

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   最近、一人暮らしの若者と話していたら食器や包丁は持たないという。野菜はカットされたもの、料理は容器に入ったものを購入して済ます。食材を切る必要が生じたら調理バサミしか使わないという者もいた。そういえば包丁無用の半加工品のなんと多いことか。
10年ほど前になるが、島根県大田市に切れ味抜群の包丁を作る「村の鍛冶屋」があるというので訪れた。家庭刃物や農具、漁具など地域に合った仕様を熟知し注文に応えてきたという。
高橋鍛冶屋の技術の特徴は刃になる鋼を地金に割り込ませる割り込み鋼にある。熱した柔らかい鉄にタガネをあて、たたいて割れ目を入れ硼砂(ほうしゃ)などの接合材とともに、硬い鋼を割り込ませ、炉で1000度ほどに加熱し槌(つち)で打って一つの素材にする。それをさらに加熱し打ちきたえ強靭(きょうじん)な素材に変化させ、同時に形状や厚さを目的の包丁に仕上げていく。槌ひとつで、鉄のかたまりが包丁の形になる「火造り」の工程は魅力的な光景だった。
初代は明治中期から営業を始め3代目になっていたが、初代から今日まで弟子を取らず夫婦で伝統技術を継承してきた。「向こう槌を打つ」のは代々妻の役目だった。家事や育児をやりながら、夫の行う火造り作業の槌音を聞き分け、頃合いを見定め火床に控えて槌を振るった。3代目紀男さんの妻、光子さんが1962年に嫁いだ時、鍛冶屋の知識は全くなかったが、しゅうとめに習い1年後から向こう槌を担当した。修繕も村の鍛冶屋の仕事で、1本の刃物は長く使われた。
火造り鍛造技術は刀匠から伝播(でんぱ)し各地に浸透していったとされる。奈良時代から戦国時代までは、刀子(とうす)という小刀が食物の加工にも使われた。幅広包丁は、1690年刊の風俗辞典に割肴師(きざみさかなし)が野菜を美しく切る包丁として登場する。江戸後期、食文化発達とともにウナギ包丁なども錦絵に描かれた。
明治以後、各家庭には菜切りや魚、肉用の出刃包丁など2、3丁が常備されたが、戦後は3つの役目を1本にまとめた「三徳包丁」が主流に。安価でさびぬなど多様性を増す一方、砥石で研いで手入れをしない人も増え、切れ味の落ちた包丁は捨てられる。
「村の鍛冶屋」の存在がいかに人や地球に優しいかを痛感するこのごろである。
(TEM研究所研究員 真島麗子) 2019.1.19 日本経済新聞

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