幕末から続く伝統の技を継承
鞴に風を送り込む度、真っ赤に熱せられた松炭の火の粉がまるで蛍のように勢いよく舞い上がる。幕末から165年続く川越の鋸鍛冶、五代目・中屋瀧次郎正義こと、伊藤守氏の鍛冶場だ。今ではめったに見ることのできない製材に使われる木挽き用の前挽大鋸。戦前につくられたというこの大きな鋸を修繕できる職人は現在、ほとんどいない。大きすぎて火床に入らないため、真っ赤に熱した鋏で刃を挟み、その熱を伝導させることで焼入れする。刃の一つひとつにこの作業をくり返す根気と集中力が求められる。
江戸時代の風情を残し「小江戸」と呼ばれる埼玉県川越市。川越藩の城下町として栄えたこの地で初代中屋瀧次郎が鋸鍛冶を始めたのが1853年。ペリーの黒船が浦賀に来航した年で、初代は鴻巣で修行を積み、川越にやってきたという。
それから約120年後、自衛隊員だった伊藤氏は23歳で四代目に弟子入りした。「モノづくりの仕事がしたいと探していた時に先代の鋸を見て美しいと思った。それでこの世界に飛び込んだ」と振り返る。以来、伝統の技術を継承し、今では一本一本を手造りする数少ない鋸鍛冶の一人となった。
電動丸鋸などの普及で鋸の需要は減少したが、今も全国の宮大工など本物志向の職人から注文が来る。前挽大鋸など古い鋸の修理の依頼も多い。「最近は海外からの注文も増えている。アメリカのバイオリン職人から特殊な鋸の依頼を受けたこともある。精密に切れる日本の鋸は海外でも評価が高い」。
先代から教わった伝統の技法はほとんど変えていない。中でも、伊藤氏がもっとも難しく重要だという「焼入れ、焼戻し」の工程はその真骨頂だ。年に数回、朝から鍛冶場の雨戸をすべて閉め切り、真っ暗にして一人黙々と火に向かう。800度前後といわれる焼入れに適した温度を火の「色」を見て判断する。「焼入れ、焼戻しの出来によって、鋸の完成度が決まる」と言う。
長い年月を経て、今なお継承される技の真髄が硬くてしなやかな、そして美しい鋸を形づくるのだ。