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【関西の力】伝統の力 金剛組 倒産の危機

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【関西の力】第1部 伝統の力 金剛組(3)倒産の危機
産経新聞 11/11配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161111-00000097-san-bus_all

□「つぶすのは大阪の恥や」 
 ■なにわ節の支援 歴史に傷をつけず再生 
 「どうか、金剛組を救ってください」
 平成17年。材木の仕入れ先で頭を下げ続ける金剛組、植松襄一(じょういち)常務(当時)の姿があった。支払いの猶予や減額を求めて取引先を駆け回る日が続いていた。
 金剛組は、すべての資産を売り払ってもなお数十億円の借金が残る債務超過状態にあった。「身の丈を超えてはいけない」という代々受け継がれてきた教えに背いたことが一因だ。
 地価と建設需要が急上昇したバブル期、金剛組はマンションやオフィスビルなどの建設に手を広げる。バブル崩壊後も売り上げを維持するため、赤字になる額でも工事を受注。経営は悪化の一途をたどり、民事再生手続きの申請を準備するまでに追い込まれた。
 ◆本業に回帰
 1400年余りの歴史が途絶えようとしていたとき、支援の手を差し伸べたのが金剛組とはまったく接点のなかった高松建設だった。高松孝育(たかやす)会長(当時)に迷いはなかったという。
 「伝統は一度壊れたら二度と戻せない。金剛組をつぶすのは、大阪の同業者として恥や」
 高松建設はすぐに再建資金を手当てし、金剛組を傘下に入れた。そして18年1月、小川完二副社長を社長として送り込んだ。
 非同族の経営者が金剛組に入るのは初めて。植松氏は「歴史が壊されるかもしれない、という警戒心が社内にあった」と振り返る。しかも小川氏は富士銀行(現みずほ銀行)から高松建設に移った財務のプロで、建築は専門外だった。
 小川社長から見た金剛組は問題が山積していた。経営方針や営業戦略を議論する取締役会はほとんど開かれていなかったし、「よい素材で、よいモノを作る」ことを重視するあまり、利益は後回しにされていた。
 小川社長は、社寺建築以外の受注を禁止する「本業回帰」を打ち出すとともに、資材の仕入れの見直しや工期順守によるコスト管理を徹底。社員には業績や受注状況などの情報をオープンにし、意見交換の場も設けた。
 ◆説き続ける
 「社寺建築は神聖な仕事。もうけるなんて言わないでくれ」「利益主義に走ることは、お客さまを裏切ることになる」。社内で反発の声が上がった。一方で経営状況を初めて知り「なんで、こんなにもうかっていないんだ」と驚き、怒る社員もいたという。
 疑心暗鬼に揺れる社内。社員との意見交換会は年数回のペースで開催し、小川社長は「何百年も社寺をお守りするためには、長期にわたって経営を安定させないといけない」と説き続けた。「心臓である伝統に傷をつけない」ための改革への理解は、徐々に深まっていった。小川氏が会長に就任する24年までの約6年間、金剛組を去った宮大工は一人もいない。
 経営不振のトンネルを脱した今、小川氏は「金剛組を『普通の会社』にすることが最大の使命だった。特別な戦略をとったわけではない」と振り返る。
 近畿大学経営学部の上小城(かみこじょう)伸幸准教授(経営戦略論)は「買収した企業の再生に取り組む際、価値観を押しつけてしまい、失敗するケースが多い。現場とのコミュニケーションを辛抱強く続けた小川氏の手法は、企業再建の見本になるべき事例だ」と指摘した。

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金剛組の歩み(写真:産経新聞)



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