中日新聞2015年12月12日
子どもに鍛冶を教える二村さん=豊田市平芝町で
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20151212/CK2015121202000058.html
子どもに鍛冶を教える二村さん=豊田市平芝町で
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20151212/CK2015121202000058.html
冬山登山の道具「ピッケル」や優れた刃物を生み出し、全国の登山家に慕われてきた豊田市平芝町の鍛冶職人、二村善市さん(84)が、地元の子どもたちに熟練の技を伝えている。「年を取って昔のようにはできん」と謙遜するが、六十年以上かけて培った技術は今なお健在だ。
カン、カン、カン。作業場に小気味よい音が響く。二村さん方で五日にあった鍛冶の体験会。市の公募に集まった小中学生三人が、ペーパーナイフ作りに挑んだ。
真っ赤な鋼を一人ずつハンマーでたたくが、すぐに冷めてしまい、なかなか形は変わらない。「よし助太刀だ」。見守っていた二村さんが力強くハンマーを振ると、いびつな鋼が次第に均整の取れた刃物の形になった。
参加した猿投台中二年の生田響君(14)は「職人に長年の経験が必要なことがよく分かった。すごい技術としか言いようがありません」と感心しきりだ。
二十歳で独立した二村さんは切れ味鋭い刃物に加え、氷壁や雪山登山に欠かせないピッケルの作り手として名をはせた。欧州三大北壁の冬期単独登はんに成功した故長谷川恒男さんのピッケルを手掛けたほか、世界初のエベレスト登頂者の一人、故テンジン・ノルゲイさんが来日した際にも贈られている。
子どもに鍛冶を教え始めたのは二〇〇八年から。ものづくり体験講座を開いてきた公益財団法人「あすて」から講師を頼まれたのがきっかけだ。「『難しかった』とか『ありがとう』とか子どもから言われると、やって良かったなあと思う」と二村さん。
昨年から市ものづくりサポートセンターが引き継いで講座を続けるが、危険が伴うだけに教えられるのは一度に三人が精いっぱい。センター職員の河野真さん(29)は「人数は限られても、優れた職人の技を子どもたちに間近で見てもらえる貴重な機会」と話す。
二村さんは最盛期に全国から注文を受けて年間五十本を生産したが、一昨年にかつての作業場が火災で全焼。ピッケルや高度なナイフを作るのに必要な機材を失い、今は手作業で仕上げられる包丁やなたをわずかに作るのみだ。
それでも、ものづくりの楽しさを次の世代へ伝える大切さは強く感じる。「今どき、子どもが鍛冶屋の仕事を目にする機会もない。ゼロから、ものを手で作る面白さを少しでも分かってもらえたらいい」 (河北彬光)