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堺発の「日本初」33品目(とことんサーチ)

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堺発の「日本初」33品目(とことんサーチ)  鉄砲生産・包丁・自転車… 東洋のベニス、技術・文化集まる
2016/1/16 日本経済新聞

大阪府第2の都市、堺市で地元出身の人に誘われて昨年末の忘年会に参加した。「堺が生んだ日本初のモノってめっちゃ多いねん」というお国自慢を何度も聞かされた。例えば鉄砲や自転車だったり、はたまたスコップや包丁であったり。最初は半信半疑だったが、確かにいろいろありそうだ。仕事始めのテーマとして、その謎を探ってみた。
まずは堺が発祥のモノを文献で調べた。堺市立中央図書館で地域資料コーナーを物色していると、「フェニックス堺」という本が目に留まった。表紙には「ものの始まりなんでも堺」とある。堺の歴史や人物伝に続いて、堺発祥のモノが紹介してあった。私鉄や三味線、金魚から日本最古の“国道”まで登場し、初めて目にするモノも多い。数えると実に33品目もあった。
訪日外国人客らの受け入れを担う堺観光コンベンション協会の萩野哲也プロモーショングループ長は「日本初をこれほどアピールできる都市は珍しい。観光客を呼び寄せる大きな武器になる」と声を弾ませる。地元の夏祭りで流れる堺音頭では「物のはじまりゃ なんでも堺 三味も小唄もみな堺」と歌われるそうだ。なるほど、堺生まれの人の口をついて出るわけだ。
次に図書館の隣にある堺市博物館を訪ねた。「16世紀の堺は国際交易港として栄え、『東洋のベニス』と呼ばれた。海外の優れた技術や文化が流入する窓口となり堺職人が作った新しい商品が全国に広がった」。赤沢明・副理事が解説してくれた。
中世の堺は新しいモノを積極的に取り込む進取の気風にあふれ、大きく発展した。赤沢さんが見せてくれたのが、1595年に欧州で出版された日本地図「オルテリウス図」だ。丹波など旧国名はたくさん記されているが、都市名は都(京都)、堺、鹿児島のわずか3カ所。当時の堺が国内屈指の大都市だったことがうかがえる。
堺は周囲を堀で囲む環濠(かんごう)都市を築き、戦国大名の干渉を退けた。会合衆と呼ばれる有力商人36人が中心となって街を自治的に運営。堺の経済力は飛躍的に高まり、多方面にわたり生産技術が磨かれた。今でも堺の人が日本初にこだわるのは「中世に栄華を極めて日本をリードした誇りやDNAがあるから」と赤沢さん。同席した白神典之学芸課長もうなずく。
残念ながら近世以降の堺は不運が重なり、勢いが失われた。大坂夏の陣(1615年)などで街が何度も焼け、蓄えた富が灰じんに帰した。
現在の大阪市域にたびたび洪水をもたらしていた大和川を1704年に改修し、流路を南寄りに付け替えたのも手痛い打撃となった。江戸時代の堺に詳しい大阪観光大学の後藤敦史専任講師は「皮肉にも堺港に土砂が堆積するようになり、港湾機能が一気に低下した」と明かす。
明治時代には独立心を発揮して「堺県」が誕生。一時は現在の奈良県域を含むまでに版図を広げたが、14年ほどで大阪府に編入された。これで大阪市の後じんを拝するのが決定的となった。
だが、堺周辺には5世紀前後に築かれた百舌鳥(もず)・古市古墳群という約90基の墳墓が今も残る。大阪府や堺市は同古墳群の世界遺産登録を目指している。後藤さんは「国内有数の歴史遺産が見直されれば、再び世界が注目する文化都市に復権するのでは」と期待している。(堺支局長 小島基秀)


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堺の和包丁はプロの料理人の約9割が使っているという(堺市の水野鍛錬所)




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